野村万作萬斎狂言会 第十五回
平成２２年５月２０日(木) １９時開演 於：大槻能楽堂
◆「舟渡聟」 船頭 野村 万作
聟 野村 萬斎
女 石田 幸雄
後見 高野 和憲
◆芸話 野村 万作
◆「三人片輪」 偽唖 野村 萬斎
有徳人 野村万之介
偽座頭 高野 和憲
偽躄 深田 博治
後見 岡 聡史
■『舟渡聟』
この曲の親子共演を拝見するのは、2008年の「ござる乃座KYOTO」で、例のダイド
ーCMの映像収録（実は後から「あの時のか！」とわかったんですが・笑）以来です
ね。その時は女房が万之介師だったんですが、今回は石田師でちょっとだけ若いし
ゃきしゃきした女房（笑）。しかし相変わらず綺麗で品格ある親子で、見慣れたおなじ
みの曲をドラマチックに見せてくれます。
萬斎聟はピンクと紫色の掛素襖に若草色の袴で、まあ華やか。ほんまにもー幾つな
んだよぉ年齢不詳の四十路（いや四十路って言ってますが）。
客席のノリも良かったです。最初に聟が船に乗るところからもう笑いが出てましたし
聟が船を揺すられてバッタンバッタン、のところは大ウケ。舅と聟の面会のシーンで
も、セリフ一つ一つに笑いが出ていました。京都の時よりウケが良かったんじゃない
かな。yoiya会員が中心の「ござる乃座」よりも、一般のお客さんも多いこの会の方が
曲が新鮮に見えて笑える人が多いのかもしれません。
ただちょっと心配だったのは、万作師の声の調子があまり良くなかったこと。前半の
舟を下りたところで、かなり息が上がっておられたようで、後半もちょっと声が詰まっ
たりしておられました。2日連続公演は、やはりきつくていらっしゃるんでしょうか。
しかし若旦那ってば「聟卒業宣言」はどこへやら、むちゃくちゃ聟してますやん！ も
しかしたらそろそろ「聟」から「舅」への代替わりでお稽古してるのかなと、るーなさん
とも話してました。まだまだ若旦那の「大髭の船頭」姿は想像しにくいんですけどねぇ
（苦笑）。遼太くん、裕基くんと次世代イケメン聟候補が控えてますし、船頭の「あの
聟はさんざんな醜男じゃ！」の台詞で逆に笑えるという状況は、まだまだ続くので大
丈夫のようです（笑）。
■「万作芸話」
20分の休憩を挟んで万作師登場。いつものように角柱に向かって正座されてお話
が始まりましたが、やはりちょっと声が苦しそう。それでも話すのはお好きなんです
よね（笑）。
まず『舟渡聟』について。最後はお能のような文語調と謡で終わりますが、これは狂
言では珍しい。これは喜劇がお能の方に寄っていったということ。「めでたしめでた
し」で終わる、祝言性を強調している。狂言の定法なら、騙した舅が「お許されませ」
で引っ込むのを聟が追い込んで終わり、というパターンになりますが、それをせずめ
でたく品良く終わるのが和泉流の特徴である、ということでした。
続いて今回の本題、狂言の海外公演について。去年はイタリーと中国で公演を行い
今年は初めて韓国に行くことが決まっているそうです。万作師若かりし頃の50年前
は、海外へ行くことすらまれなことで、アメリカ、ヨーロッパ、中国、インドと初めて狂
言を持って行ったのは野村万蔵家でした。
初めてヨーロッパに行ったのは昭和30年代。その頃は1ドル360円と決まっていて、
国内で換金していった分しか持って行けず、現地でドルの両替ができなかったので
公演先でお金に困ることもあったそうです。万作師はその時、お父上の万蔵師が打
った般若の面を持たせてくれ「何かの時には売りとばして」との心づもりだったと
（笑）。
その時にパリ公演をデザイナーのピエール・カルダンが観に来ていて、人を介して楽
屋でお会いしたそうですが、万作師が「個人的にはパリにもう少し滞在したいのだが
お金がなくて困っている」と話したら、なんとカルダンが5万フランをぽんと寄付してく
れた！ そのお礼にお父上の般若の面を差し上げたそうですが。
「後で聞いたら、カルダンは若い男好きらしくて…（客席騒然）まあ、そういうつもりだ
ったんじゃないですかね、何もなかったですけど（爆笑）」。いやいやいや、映画スタ
ー（古）ばりの美青年だった若き万作師なら、そういうこともありかと…。東洋人はソ
ッチ系のお方にとっては魅力的らしいっすからねぇ（やめなさい）。しかし5万フランて
（驚）。
そのパリ公演の前がベニスだったので、能舞台は組み立て式のものを分解して、マ
ルセイユ経由でパリまで運んだそうです。ところが。背景の鏡板は1枚1枚バラバラ
にして運ぶのですが、パリに着いてみたら一番下の松の根っこのところがない！ さ
あどうしようと困っていたところ、当時パリにいた洋画家の藤田嗣治が板に絵を描い
てくれたそうです。すごい人脈ですな。
しかしやはり皆さんお金には苦労していて、公演中の楽屋には大使館から差し入れ
としておにぎりが届くのですが、「一人何個」と決めていても異様に減るのが早い…
みんなこっそり持って帰ってホテルで食べていたとか。そうして飢えをしのぎながら
公演を続けたそうです。今では考えられない事態ですね。
1963年には、シアトルのワシントン大学で、お父上の万蔵師と万之介師と共に、特
別教授として狂言を教えに行っていました。「附子」や「棒縛」など簡単なものを英語
で教えていたそうです。
その一環として、アメリカ各地を公演で回りました。バンクーバーのブリティッシュコロ
ンビア大学では、ちょうどその頃に教授をしていた文学者の加藤周一氏に、万作師
自ら「狂言の公演をやりたい」と手紙を出したそうです。すると「貴方のお父様は狂言
の名人だから、ぜひ公演をお願いしたい」と返事が来たとのこと。「父は名人である、
と初めて認めてくれたのが加藤周一先生でした。それから長いことお世話になりまし
た」とのことでした。
しかし、その時シアトルで現地の人に「JAP」と面と向かって言われた、とも。ちょっと
お能マンガ「花よりも花のごとく」の1シーンを思い出したのですが…もしかしてこの
元ネタは万作師提供だったのかな？
外国公演では「梟山伏」と「棒縛」をよくやったそうです。特に「梟山伏」は、山伏の
「ホーホー」という鳴き声が他の人間にうつっていく、というのが外国人にもうけて、
パリでは客席の学生達が演者と一緒に「ホーホー、ホーホー」言い出して大騒ぎに
なったとか。ストーリーが単純明快で動きのある演目が、時代と国を超えてわかって
もらえると実感したとのこと。
インド公演の場合はちょっと事情が違っていて、まずインド政府の方から、当時の文
部省ユネスコ委員会に、演劇祭をやるので日本の劇団を派遣してくれないかという
要請が来たそうです。ところが、新劇の劇団を派遣するには予算がないので一度は
断った。そうすると「文部省のどなたかが思いついたんですね。狂言なら3、4人で行
けるじゃないか、行け、と（笑）」てな経緯で狂言チームがインドに行ったそうです。
しかし、舞台に上がる3、4人だけでは裏方がいない。そこで、同時に演劇のシンポ
ジウムに参加するということでインド入りしていた、劇作家の飯沢匡さんが、急きょ後
見を務めてくださることになったそう（驚）。といってもお素人なので、メガネをかけた
まま舞台に出られたので困ったそうですが（苦笑）。
揚げ幕の係は現地のインド人に頼んだそうですが、これも急ごしらえなので幕の上
げ下げのタイミングが合わなかったそうです。「幕から出る時は、中から『UP！』と指
示できたんですが、幕入りの時に指示できなくて困りましたね（苦笑）」
中国は、他の国のように依頼が来て派遣されたのでなく、万作師自身が初めて行き
たいと思った国だそうです。日本の能狂言は、中国の散楽が元になっているので、
その源流をぜひ見てみたいと思ったそう。
ところが40年ほど前の中国は、文化大革命の終わり頃で、とても能狂言など公演で
きる状態ではない。そこで、まずは国の実態を見るようにと勧められ、文部省派遣の
文化使節団の一員として中国を訪問したそうです。使節団のメンバーは東山魁夷と
か杉本苑子とか（客席騒然）すごいメンバーだったらしいです。
その旅で能「邯鄲」の舞台となった地も訪ね、邯鄲の近くのダイサイという村で、粟
の粥を食べたとのこと。しかし、行く先々で、日本軍がかつてどんなひどい仕打ちをし
ていたかを聞かされ、とても辛かった。「これではまだまだ文化交流は無理」と思わ
れたそうです。
万作師が中国へ行った次の年に、文化大革命が終わり、それから10年ほどして、初
めて北京と上海で狂言の公演をしましたが、その時は観客が政府の要人ばかりで、
あまり開かれた雰囲気ではなかった。しかし昨年の公演では、学生の観客が大勢
集まったそう。「倅の『陰陽師』が中国でも有名になって、そのファンらしいんです
（爆笑）」
昔の公演では、通訳も難しく、セリフも翻訳した中国語のスライドを持っていったりと
か、全部持ち出しでやっていましたが、今では海外公演も大変やりやすくなった。ア
メリカで学生を教えた時に実感したのは、動きのおもしろいものなら言葉が多少わ
からなくてもわかってもらえるということ。しかし今では同時通訳も使えるので『川
上』のような奥行きのあるものも出せる。本格に近いものを海外で披露できるのは
大変な進歩だと思われているそう。
「きっかけは何でもいいんです。『陰陽師』でも『あぐり』でも（笑）。何でもいいから狂
言を見ていただいて、日本の笑いとはどんなものか、日本の“和楽”を直に感じ取っ
ていただきたいと思います」ということで、倅さん自慢（笑）もちょいちょい混ぜながら
の楽しいお話でした。
■『三人片輪』
酒宴のシーンの賑やかさやラストのドタバタぶりのおもしろさで、構成としては大変よ
くできていると思います。かつては人気のあった曲ですが「身障者をからかう内容」
が好ましくないとされて、上演の機会が減ったという曰く付きの曲。パンフレットにも
「現在不適切とされる語句が出て参りますが（中略）古典ということでご了解願いま
す」という旨の但し書きがついていました。
萬斎師の偽唖、口がきけないのをどう表現するのかと思っていたら、竹のささらみた
いなのを両手に持って打ち鳴らしつつ「あうあうあうあう～」。これが、最初に見た時
ちょっとキツイかな…と思いました。古典ですから、昔の人は聾唖をそう捉えていた
のだろうなとは納得できるのですが、身近にそういう人がいたら、見るのは辛いだろ
うなと思ってしまった。曲の本筋の見方ではないと思うんですけどね。客席もこのあ
たりでは、笑っていいものかどうか迷っていたような感じだったと思います。
しかし、三人そろって酒蔵に入り込むあたりからは、からっと明るい雰囲気に。酒宴
が始まれば、もう万作一座ならではのおめでた～い空気が流れました。高野さんの
小舞はちょっとタイトルがわからなかったんですが、深田さんの小舞は「ちゃっと推し
た～」のうさぎさん。そして萬斎師の小舞は『景清』。これはもういつものことながら
颯爽としておみごと！ 力強さと軽やかさが同居した舞。やはりここが一番の見せ場
ですねぇ。
そんなこんなで浮かれているうちに有徳人が帰って来て一喝！ 慌てた高野さんが
竹のささらを取り上げて「あうあうあうあう…」。萬斎師と深田さんは、盲人の杖を取り
合ってるし…でもう客席は爆笑。いやはや、昔懐かしドリフのパターンですなぁ。やっ
ぱこういうの好きです、上方人（笑）。最後の最後、萬斎師が「ああ、思い出しました
私はこれでした」と、両手を叩いて「あうあうあうあう…」。この最後のオチ（なのか
？）は素直に笑えました。
これは萬斎師の芸風そのものに関わってくるのですが、よく言えばトリックスター的
ないたずらっ子、悪く言えばアクの強い持ち味が、こういう役ではちょっとマイナスに
出るかもしれない。下手すると身障者をバカにしてるようにも見えかねないんです
ね。これは難しいところじゃないかと思う。もう少し年をとって、柔らかくなってくれば
素直に笑えるようになるのかもしれない。そういう意味でも、これをやるには演者も
そして観客の側も、それなりの覚悟が必要と感じました。